麻生表現研究会

マルセ太郎さんを中心として表現を学ぶ会です


postcard: Beフリー 〔03-3430-7328〕

1.麻生表現研究会のあゆみ

2.マルセ太郎語録

3.追悼・マルセ太郎さん

4.マルセ太郎・公演メモ

●平成5年(1993年)の秋、川崎市麻生区で「マルセ太郎のパントマイム教室」という市民講座
 が開かれました。ボードビリアン・マルセ太郎さんから、からだを使った表現を学ぼうという講座
 です。言葉でも表現がおぼつかないのに、からだを使って表現するなんて、無茶な話ではない
 かと思われました。ところが、実際にやってみると、これがじつに楽しいのです。サルになったり、
 トリになったり、モデルになったり、老人になったり。むずかしいけど、おもしろいのです。

●講座が終わっても、もうすこし何かやってみたい、マルセ太郎さんとの縁を切りたくない。そんな
 仲間が集まって「麻生表現研究会」が生まれました。マルセ太郎作の喜劇シリーズや「スクリー
 ンのない映画館」の鑑賞、話し方の勉強、映画批評など、少しずつですが、これまでいろいろな
 活動をしてきました。

●ここに、その記録の一部をまとめてみました。「マルセ語録・麻生表現研究会版」です。

平成13年1月22日、マルセ太郎さんは岡山の病院で
お亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

マルセ太郎さん逝く 2001.1.23  

けさ、電話でマルセ太郎さんが亡くなられたことを知った。きのうの午後、岡山の川崎医大付
属病院で亡くなられたそうだ。テレビもそのニュースを報じていた。マルセさんには、麻生表現
研究会でいろいろお話をしていただいている。正直いって、「本当によくがんばったなあ」という
のが実感である。

平成7年の1月に肝臓ガンの大手術をしてから、まる6年になる。何度も再発をくりかえし、その
つどアルコール注入法や肝動脈塞栓術などの治療を受けておられた。その間、何本も悲喜劇
を書いては上演し、スクリーンのない映画館を独演し、本を出版し、記事を書き、講演をこなし
てきた。ガンになってからのほうが、むしろ精力的に活動してきたのではないだろうか。真剣に
生きていれば、いつ死んでも悔いはない。そんな言葉をみごとに実践されたように思う。

マルセさんの書かれた本や、台本、あるいは講演の内容をみると、そのはしはしに愛がある。
愛ゆえの怒りがある。また、言葉だけで終わらず、実践もしている。暮れの表現研究会では、
山田洋次監督の「十五才」という映画をとりあげた。あまいね、とバッサリ。そのとき、「初恋の
来た道」という素朴な中国映画がいかにすばらしいかを熱弁していた。ロマンチストである。
かと思ったら、こんどは、薬害ヤコブ病や非加熱血液製剤に話がとぶ。おそろしく詳しい。国を
愁いているのである。すごい人だ。そのすごい人が、とうとう逝ってしまった。

 

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